天正年間(1573-1592)に、角芸洞麟大和尚が開山した。山号は羽生山(開山当時は慈眼山と称したが、18 世住職月船大和尚の代に羽生山と改める)明治時代の文豪である田山花袋の小説『田舎教師』にも建福寺は登場する(作中は成願寺)主人公のモデルとなった小林秀三は建福寺に下宿し、勤務先である市内の小学校へ通っていた。当時、秀三が下宿したとされる本堂も境内地に残っている。秀三の墓も境内地にあり、今でも多くの方が墓参に訪れる。
二階建てとなっており1階が待合所、2階が法要をする法堂となっております。エレベーターも備えております。
令和3年にトイレの改装を行いました。
墓地 境内地と羽生市岩瀬に「建福寺霊園」があります。
建福寺霊園内にございます。詳細についてはお尋ねください。